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landscape heritage No.65~80
景観遺産一覧 No.65~80
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この旅の立ち寄りスポット

65.興文木(クスノキ)と正門門柱
66.本町橋
67.宝光院(ひだりめ不動)
68.久瀬川町の歩道橋
69.竹中邸(赤壁)
70.南市橋の奥川
71.青墓の白鬚神社
72.藤古川堤防の桜
73.岐島屋百貨店
74.金森吉次郎の像
76.誓運寺
77.北方町がま広場
78.中山道赤坂宿の町並み
79.OKB大垣共立銀行郭町ビル
80.旧万屋染物店

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65.興文木(クスノキ)と正門門柱
藩学問所の伝統を引き継ぐ興文学校が、明治36年(1903年)に現在地である西外側町に移転した際に植えられたクスノキです。終戦直前の空襲で真っ黒に焼けただれましたが、それを乗り越え、今も青葉の生い茂る枝を力強く空へ伸ばしています。同じく移転時に建てられた花崗岩の大きな正門門柱とともに、伝統ある校門の風景を形造り、今も子どもたちを見守り続けています
No.65
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66.本町橋
本町橋は、岐垣国道の建設に合わせ、昭和10(1935年)頃に牛屋川にかけられた橋です。大小9つの砲弾を型どり組み合わせた親柱が特徴的です。今日まで戦前の様相を伝える遺産です。
No.66
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67.宝光院(ひだりめ不動)
伝教大師の創建と伝えられる古い寺院です。江戸時代には幕府から「御朱印地」として承認されていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩、「節分会 はだか祭」が開催され、伝統的な祭りの熱気を浴びることができます。また、織田信長や西美濃三人衆(氏家卜全、稲葉一鉄、安藤守就)ともゆかりがあることでも有名です。
No.67
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68.久瀬川町の歩道橋
昭和40年(1965年)1月31日に主要地方道岐阜垂井線に設置された久瀬川町の歩道橋です。市内唯一の橋桁を支えるアーチ構造とデザインが一致した巧みな形状が特徴的です。市内に現存する歩道橋では最も古い年代のもので、現在も「丸い歩道橋」として親しまれています。
No.68
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69.竹中邸(赤壁)
旧中山道赤坂宿の有力商家であった竹中邸の裏門で、養老街道沿いに位置する規模の大きな長屋門です。印象的な壁の色から地元では昔から「赤壁」として親しまれています。べんがらを用いた赤色は皇女和宮の赤坂宿通行の頃に広まったと考えられています。中山道の幕末の様子を伝えながら、向かいの矢橋邸とともに趣のある景観をつくりだしています。
No.69
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70.南市橋の奥川
大垣市、池田町、神戸町を流れる一級河川です。付近の中島橋周辺では、昭和42年(1967年)に市に天然記念物に指定された杭瀬川のゲンジボタルがみられます。また、桜並木、花菖蒲、彼岸花など、四季の移り変わりを楽しむことができます。
No.70
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71.青墓の白鬚神社
10月の祭礼時に奉納される「青墓大太鼓踊り」は農民の雨乞い祈願や豊年踊りとして演じられれきました。昭和49年(1974年)10月2日に市重要無形民俗文化財に指定されており、独特の雰囲気を味わうことのできる伝統芸能です。境内地は装飾豊かで印象的な拝殿が建ち、青墓の集落の景観的な核となっています。
No.71
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72.藤古川堤防の桜
牧田川に合流する藤古川の堤防は、古くて立派な桜並木となっており、春になると堤防の桜が見事に咲き誇ります。東海自然歩道にも指定されています。奥に見える伊吹山を含めた景観は市民にも広く親しまれています。
No.72
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73.岐島屋百貨店
昭和5年以前から現在において営業している商店です。建物の西半部が2階の軒高が低い「つし二階建て」、東半部が軒高が高い「本二階建て」の二棟の建物からなっています。本二階部分では袖壁を設け、今では珍しい模様が入ったすりガラスや表面が波打つ古いガラスが用いられています。現在はまちづくり市民団体「いき粋墨俣創生プロジェクト」が運営する、街の観光拠点として地域のイベントやお祭りの情報、休憩ベンチなどが用意されています。
No.73
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74.金森吉次郎の像
治山治水に一生と全財産をささげた人物です。明治29年(1896年)の大洪水時には、大垣輪中堤防委員長として指揮をとり、水没した大垣輪中内の4万人の人命を救いました。また、大垣城天守の石垣に浸水位を刻み、碑とともに当時の惨状を伝えています。これらの事績を顕彰する金森吉次郎の像は、大垣輪中水害予防組合の提唱により大正12年(1923年)に大垣公園内に建てられました。昭和19年(1944年)に第二次世界大戦で金属供出されたため、昭和29年(1954年)に市と組合が中心となり、像の再建を呼びかけ、現在の像が市出身の彫刻家により旧台座の上に設置されました。
No.73
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76.誓運寺
寺伝によると、寛正5年(1464年)の創建で、大垣城下町の整備に伴い元和6年(1620年)に現船町の地へ移転しました。西側の土蔵造の外観は、享保年間(1716〜1736年)に幕府が江戸の寺院へ規制した「防火造」の様子をよく示した、大垣では唯一の遺構です。また、この寺に生まれた南條文雄は近代的な仏教研究の普及に尽力し、明治21年(1888年)、日本初の文学博士となりました。境内にはその功績をたたえた顕彰碑が建てられています。
No.76
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77.北方町がま広場
地下水が豊富な大垣市では、地下水が自然に湧き出している所を「がま(河間)」と呼んでいました。以前は大垣市のいたるところに存在していましたが、近代工業の発達に伴う地下水の汲み上げの急増や地改良事業の実施等によりその数を減らしていきました。大垣市内で唯一当時の面影を残すこの「がま」を水文化を伝える重要な資料として平成22年に保全整備を行いました。
No.77
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78.中山道赤坂宿の町並み
江戸時代に整備された五街道のひとつです。「中山道」の宿場として栄え、江戸時代後半の天保14年(1843年)には、宿場内に292軒の町屋が建ち並んでいました。皇女和宮の「お嫁入り普請」と呼ばれる家の建て替えや新築が行われた一部が今も古い街並みとして残っています。
No.78
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79.OKB大垣共立銀行郭町ビル
昭和2年(1927年)の年末に、工費17万円(当時)で建設されました。3階建ての鉄筋コンクリート構造で、1階及び2階の一部を明治27年(1894年)に創立された大垣貯蓄銀行(昭和18年に大垣共立銀行に合併)の本店とし、その他の部分をデパートとして「大ビル百貨店」の名で開業しました。大垣でエレベーターが取り付けられた建物の第1号でしたが、当時の名古屋から京都に至るまでの建物でも唯一でした。現在は改装され、市の栄誉市民である日本画家、守屋多々志の作品を展示する美術館となっています。
No.79
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80.旧万屋染物店
大正末期の久瀬川通りでは、北を流れる下立用水の水を利用して何軒もの染物洗張店が営業していたと言われています。美濃路に面するこの建物は戦災を免れ、築100年以上もの年月ここに在り続けています。老朽化に伴う建て替えの予定がありましたが、この景観を残して欲しいという人々の声もあり、耐震工事を行い現在もその姿を残し続けています。
No.80

〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣115番地
すのまた宿 池田屋 脇本陣
TEL.0584-84-3781