landscape heritage No.81~93
景観遺産一覧 No.81~93
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この旅の立ち寄りスポット

81.伊藤家住宅
82.杭瀬川決潰守護神
83.時山の階段集落
84.常葉神社と大楠
85.林正寺山門
86.旧守屋家住宅
87.西大垣駅
88.石引神社と西濃鉄道の線路
89.田中屋せんべい総本家
90.大垣消防組員頌徳碑
91.三甲テキスタイル株式会社レンガ倉庫と洋館
92.岡田防水布店
93.花村製油所

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81.伊藤家住宅
主屋は明治8年(1875年)頃の建築と伝えられています。赤坂周辺を代表する名所等を題材とした、切り絵カルタ「ふるさと赤坂四十八景」にも取り上げられた長屋門が現存しています。屋敷地の周囲には板塀に囲まれ、土蔵や敷地を流れる水路が存在するなど、当時の地方豪農の屋敷構えを遺しています。
No.81
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82.杭瀬川決潰守護神
明治29年(1896年)9月に発生した大水害では多芸島の堤防がおよそ220mにわたり決壊し、濁流が輪中内へ流れ込みました。当時の被害は凄まじく、大垣城天守の石垣にはその惨状を記した碑とともに浸水ラインが今も刻まれてあります。人々はこのような洪水に二度とみまわれないように堤防上にほこらを建て、水神様を祀りました。r当初は木造でしたが昭和30年(1955年)に石碑に建て替えられました。今でも地元では、堤防が決壊した9月に水神祭りが行われています。
No.82
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83.時山の階段集落
牧田川の最上流部にあたる滋賀県との県境に位置する集落です。その昔平家の落ち武者伝説や、関ケ原合戦の際に島津隊が退却した伝承や、時山刺し子や時山踊りなどの文化が残っています。山間にひっそりとたたずむ集落は、急峻な斜面に沿って石垣が築かれ、主屋や付属屋が段状に建ち並び、特徴ある景観を残しています。
No.83
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84.常葉神社と大楠
嘉永5年(1852年)に、大垣藩の藩祖である戸田一西公を祀って大垣城内に建てられました。その後、八幡神社境内に移りましたが濃尾大震災で被災したため、明治35年(1902年)に現在地で再建されました。例年10月第2日曜日に開催される十万石まつりは、元来、常葉神社で行われる代表的な大祭です。境内にある御神木は高さ15m、幹周り3.2mの市内屈指の楠の巨木で、境内のシンボルとなっています。その隣には昭和21年(1946年)に徳吉稲荷神社が建てられ、戦後の復興期には高砂町の芸者衆が行き帰りに参拝するなど大いに賑わいました。
No.84
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85.林正寺山門
明応元年(1492年)に、武士であった伊藤九郎祐清の子孫である祐親によって建てられたとされています。文政6年(1823年)に完成した山門は、上層を鐘楼とした鐘楼門で、長屋門の中央を二重門とした珍しい形式です。正面には大垣所縁の書家である高木桑石による「往還門」の扁額があります。平成7年(1995年)の耐震工事により銅板葺きとなり、門両脇の長屋部分が建て替えられ、当初の形からの改変がありますが、旧道沿いの景観を特徴づける存在です。
No.85
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86.旧守屋家住宅
江戸末期より醤油・味噌の醸造を行う家です。その主屋は明治中頃に建築された店舗と住居が一体となった大型の町屋で、大垣市の栄誉市民であり、文化勲章受賞者である日本画家、守屋多々志の生家です。正面外観では、一階庇の屋根の出が東と西で異なっており、西側が60cm以上狭くなっています。主屋の後側を西へ振って狭くすることで、店の西側に設けられた茶室露地に奥行きを持たせる、透視図的効果を狙ったものと伝わっています。
No.86
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87.西大垣駅
西大垣駅は養老鉄道の本社や車両管理所大垣車庫などが併設された、養老線の中核的存在です。 木造平屋建ての駅舎は大正2年(1913年)の建築で、大正時代のレトロなたたずまいを残しています。平成19年(2007年)に公開された、嵐主演の映画「黄色い涙」のロケ地にもなりました。
No.87
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88.石引神社と西濃鉄道の線路
境内を西濃鉄道の線路が貫き、踏切もあるという珍しい神社です。上洛途中の江戸幕府三代将軍徳川家光を大垣城へ迎えるにあたり、石垣に用いる巨石を金生山から切り出した際に、城主松平定綱が自ら長刀を鞘から抜いて人々を叱咤激励しながら運搬したため、石引神社と呼ばれるようになったと伝わっています。 大正時代になると、石灰の需要が急増したため、昭和3年(1928年)に金生山の採掘場と美濃赤坂駅を結ぶ西濃鉄道が開通し、境内を横切ることとなりました。この風景は赤坂の歴史をよく示しているものといえます。
No.88
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89.田中屋せんべい総本家
安政6年(1859年)に創業しました。現在の店舗は昭和27年(1952年)に建てられたものであり、重なり合う入母屋の三角屋根が特徴的です。宮大工の小寺浅之助が手がけ、その弟子であり、大垣のまつり軕の人形を修復した経験を持つ、からくり人形師の後藤大秀も建築に携わりました。 堅く独特な歯応えの名物「みそ入大垣せんべい」のまろやかな甘みと味噌の香りは150余年経った今でも変わらない伝統の味として市民に愛されています。また、そんなせんべいを焼いている様子をガラス越しに眺めることもできます。せんべいの焼型に利用される稲穂のデザインは、栄誉市民である日本画家守屋多々志によるものです。
No.89
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90.大垣消防組員頌徳碑
城西広場にある12本のエンタシスの石柱で支えられた頌徳碑です。かつて大垣市消防組が地元住民を災害から守るために、身を挺してその責務を全うした消防組員の栄誉をたたえるため、昭和7年(1932年)に建立されたもので、当時の組頭で発起人である佐久間仁右衛門ほか39名の名が刻まれています。周辺の盛り土は、大垣城の堀を掘った土をかき上げて固めた御土居の痕跡です。もともとは旧大神宮の境内にありましたが、戦後、大神宮の遷宮に伴い現在の場所に移設されました。その近くには、嘉永元年(1848年)に建てられた後、大正3年(1914年)に大垣市消防組の前身である大文字消防組により改修された常夜燈も残されています。
No.90
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91.三甲テキスタイル株式会社レンガ倉庫と洋館
かつて大垣市の産業を支えた紡績工場の建物です。大正3年頃(1914年頃)に検察されたと思われ、事務所棟は、木造2階建モルタル塗の洋風建築で、内部の柱や天井には華麗な装飾が施されています。倉庫棟は、最近では少なくなったレンガ造りの建物で、道路に沿って建てられており、近代の面影を残す歴史的建築物として親しまれています。
No.91
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92.岡田防水布店
宝暦年間(1751‐1764年)に創業した防水布店です。「明治天皇御召替所跡」として市の史跡に指定されています。時代とともに取り扱う製品は変化しましたが、最近では再び柿渋に着目し、柿渋染の鞄等の製造販売も行っています。現在の建物は濃尾震災の後に建てられた築約130年の木造建築です。南側は2階の軒高が低い「つし二階」となっており、林町の歴史的な界隈の構成要素として重要で、広い間口が老舗の風格を示しています。
No.91
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93.花村製油所
文久3年(1863年)に創業した花村製油所の店舗です。袖壁が設けられた2階軒高の高い構成に近代の町家の特徴を示しています。かつては裏側に菜種を絞るための工場があり、入口から続く通り土間廻りに商家の店の雰囲気をよく残しています。入口ガラス窓に直接ペイントされた店名や商品等、時代を感じさせる、趣きのある外観を今も保っています。
No.93

〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣115番地
すのまた宿 池田屋 脇本陣
TEL.0584-84-3781