landscape heritage No.33~49
景観遺産一覧 No.33~49
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この旅の立ち寄りスポット
33.津島神社の社叢
34.大神神社
35.旗本東高木家土蔵
37.宝暦治水の松
38.湯葉神社とスギ
39.唯願寺とシブナシカヤ
40.冠橋付近から見た烏帽子岳
41.美濃路墨俣宿脇本陣跡(安藤家)
42.寺町界隈
44.一夜城址公園とその周辺
45.米山家水屋
46.奥田家住宅
47.大垣共立銀行本社
48.金蝶園総本家
49.蛍雪橋
33.津島神社の社叢
津島神社は延宝元年(1673年)の棟札がある古い神社です。神社背後の鎮守の森は、樹種がとても豊富な上、ほとんど人の手が加えられたことがない自然のままの姿を残しており、神域を感じさせる社叢となっています。
No.33
34.大神神社
延長5年(927年)に編纂された「延喜式神明帳」にも記載されているほど歴史が古く、社格の高い神社です。境内には幹の周囲が5mもある大きな杉の古木が何本も立ち、荘厳な神域に圧倒されます。境内を取り囲むようにある社叢は、県の天然記念物にも指定されています。
No.34
35.旗本東高木家土蔵
旧伊勢街道筋の東髙木家陣屋跡にある土蔵です。三度の改修を重ね、老松とともに昔の名残を今も残しています。土蔵の壁は瓦を張り付け、漆喰で縁取りする「なまこ壁」と呼ばれる明治時代から昭和初期に見られた外壁の工法が施され白壁造りのどっしりとした構造となっています。
No.35
37.宝暦治水の松
この松は、木曽三川の治水事業である「宝暦治水」を終えた薩摩藩士達が薩摩から取り寄せたものを水奉行を務めていた高木家の陣屋に植えたものの一本とされています。海津にある木曽三川公園・千本松原に植えられているものと同じ「日向松」(アカマツの地方種)です。昔は松並木であったとされていますが、現在では東高木家の屋敷跡(旧上石津町役場跡)に残るこれが最後の日向松の大木となっています。
No.37
38.湯葉神社とスギ
慶安2年(1649年)の創建と伝わる上石津町時之郷の総社です。境内には幹の周囲が6m以上もあるスギの大木が神木として尊崇されており、他にも5mを超える大木が並びその景観はとても神秘的です。
No.38
39.唯願寺とシブナシカヤ
700年以上もの歴史をもつ寺の境内にシブナシガヤと呼ばれる木があります。カヤの実の殻を破ると、渋皮が実につかずに殻につくということからその名で呼ばれています。普通のカヤでは見られない珍しい特徴のため、多くが天然記念物になっています。
この境内のシブナシガヤの大木には、昔正体を見破られたために子を残して、泣く泣く唯願寺の井戸から琵琶湖へ帰った大蛇の化身である母親の伝説が伝わっています。その母親が残したシブナシガヤの味で子は病ひとつせずすくすくと成長したと言われています。
No.39
40.冠橋付近から見た烏帽子岳
昔公家・武士の男性が被っていた烏帽子に似ていることから名付けられました。時盆地に入ると真正面に一際高く悠然と聳えています。また、美濃富士という名や、「熊坂山」と地元の方々からは呼ばていたりなど様々な名で親しまれています。春には百間堤防の桜並木が趣向を添えています。
No.40
41.美濃路墨俣宿脇本陣跡(安藤家)
美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。江戸時代の宿場町の面影を色濃く残す古民家を、現在「民泊」や「古民家再生ショールーム」として活用しています。地元のイベント事の際には、まちづくり団体がお土産処を開店しています。
No.41
42.寺町界隈
その名の通り、寺院が集まっているエリアで昔の面影を残しています。等覚寺を除く各寺院は、江戸時代に他所より移転してきてました。寺宝や文化財も多く残っており、なかでも本正寺には明治時代に脇本陣の門が移築されており、山門として残されています。
No.42
44.一夜城址公園とその周辺
木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる一夜城址です。彼の出世の出発点となったとされています。現在は公園として整備されており、墨俣一夜城は、歴史資料館として建設されました。周りを流れる犀川の堤防には3kmに渡る桜並木があり、最近では紫陽花も植えられ、春から初夏にかけて多くの花見客で賑わっています。
No.44
45.米山家水屋
墨俣地区の輪中の象徴ともいえる建物です。昭和50年代(1975-1984年)に14棟ほどの水屋がありましたが、現在は2棟しか残っていません。米山家水屋は離れ家として使われていた住居式の水屋で、この地区唯一の住居式の水屋になります。
No.45
46.奥田家住宅
奥田家は江戸時代から続く旧家で、主屋は切妻造、桟瓦葺きの大型農家です。主屋と水屋が階段でつながっており、大正10年(1921年)に建築され、倉庫としても活用されてきました。住居と倉庫の機能を備えた水屋としては、墨俣地区に残る唯一の水屋となります。敷地南側に残る長屋門は、左右に居室のある門となっており、建築年代は家伝によると明治時代とされています。現在までその姿を綺麗に残しており、屋敷構えとして景観上高い価値を有しています。
No.46
47.大垣共立銀行本社
昭和48年(1973年)当時、まだ高層のビルが無かった大垣市内で、遠くからでもよく目立つランドマーク的な存在でした。県内でも超高層ビルの先駆けでした。晴天時には空の青と建物の白のコントラストがよく映えており、景観遺産として親しまれています。
No.47
48.金蝶園総本家
創業当時の建物は残念ながら戦災により消失してしまいました。現在の店舗は、戦後の昭和26年(1951年)に宮大工の小寺浅之助と、その弟子でありからくり人形師でもあった後藤大秀が携わりました。駅通りには珍しい木造建築物として風情を漂わせています。
No.48
49.蛍雪橋
大正13年(1924年)に架橋されたコンクリート製の橋梁です。高欄の部分に市章がデザインされているのが特徴です。
No.49
〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣115番地
すのまた宿 池田屋 脇本陣
TEL.0584-84-3781